政治の不可能性
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001 2024/06/23(日) 22:33:06 ID:t6pKG2cct6
果たして政治は可能なのか?政治には2つの機能側面がある。
1)敵と味方を区別し、敵を退ける。
2)権力による支配と被支配とで集団を制御する。
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053 2025/02/20(木) 10:40:10 ID:mEx7qHHjnY
軍事は政治の延長ではないが、政治は軍事の延長であったし、今でもそうだ。
国家は、軍事国家に始まる、日本史でもそうだ。神武東征がスタート。武家政権は言わずもがな。明治維新新政府の面子は、ほとんどが戊辰戦争を戦い抜いた武士である。議会制が始まるまでは軍事政権みたいなものだ。対外戦争は、議会制開始後に始まったのは皮肉なことだが。大東亜戦争敗戦後に武装解除され、軍事政権化を封印されたのが、例外的なのだ。
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054 2025/02/20(木) 10:41:33 ID:mEx7qHHjnY
日本史を振り返るなら、軍事政権を解除した時期は無いことはなく、大抵は宗教国家化していた。白村江の戦いの敗戦後が、唐による占領政策の武装解除ではなかったのは幸いだが、宗教国家化による軍事政権封印に繋がったのは偶然だろう。
日本は、白村江の敗戦から、壬申の乱を経て、本気の宗教国家に転換する。神祇神道を成立させた天武朝、鎮護国家仏教を確立した聖武朝で、仏教は国教化し、同時に宇佐八幡宮から興った神仏習合を遂げる。
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055 2025/02/20(木) 10:42:47 ID:mEx7qHHjnY
平安時代の日本は、宗教国家だ。南都仏教の律令国家抱合せの国教は律令制と共に崩壊、平安仏教は、社会の荘園化、分散化と共に分裂した。貴族内部の宮中権力闘争である政争=「変」が戦争を代替したから、宗教もスケールダウンして呪術に舞い戻る。鎮護国家仏教として期待された天台宗や真言宗も、呪術空間に飲み込まれて加持祈祷、密教、呪い空間を作り出したに過ぎない。陰陽道に接近して神秘化、スピリチュアル化した訳だ。
その間、地方は富や力を蓄積する機会に恵まれて、やがて平将門の乱、藤原純友の乱のように権力闘争は、宮中から地方へと溢れ出した。前九年の役、後三年の役は、富と民衆をバックに衝突する武力勝負の本格的戦役となり、保元の乱、平治の乱に結びつく。鎌倉武家政権が、軍事政権であるのは当然ながら、鎌倉武家政権が倒れたからと、南北朝時代には、天皇親政のアナクロニズムが律令制を懐かしむが、無意味。
戦国時代、江戸時代へと軍事政権が継続、江戸時代だけは、儒教国家を目指して非軍事政権化しようとした。
これを要するに、日本史は、ほぼ政治が軍事の延長であったことが確認できるのである。
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056 2025/02/20(木) 11:17:29 ID:mEx7qHHjnY
しかしながら、政治は軍事ではないし、軍事は政治ではない。軍事政権は戦争の勝敗が軍事で決するからと、たまたま勝利の延長線上に武将が居座り、支配の機会を手にしたに過ぎない。
政治は対内的に向けられた暴力なり、とするのが、権力機構政体論(国家暴力装置論)だが、政治には暴力は必然ではない。権力機構ですらある必要が無い。
対外的には、権力機構のトップであり、かつまた集団を統率できるリーダーとしての強制力の独占者のみが交渉相手に値する。その種のトップは軍権を掌握した最高司令官、元帥であろう。同時に彼は交戦相手にも相応しい。
この名残をいつまで引きずるのか?
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057 2025/02/20(木) 11:20:25 ID:mEx7qHHjnY
非軍事的文官に武官に相当する権力を付与する仕組みとしての選挙は、実は正当性が弱い。
有能な武官が、民政においても素晴らしい統治を行えるとは、誰が保証できるのか?ただ、彼には権力は備わるのであり、権力は、施政の間、常に注目を浴び、見張られるものではある。
軍事において適切な司令を下せぬ非能力者が、民事において適切な判断や司令を下せる道理はない。能力適格性を備えたものが立候補する可能性は低い。
選挙システムによる政治執行の不可能性がここにある。補佐輔弼する官僚に優秀なる人材を集めなければならない。が、官僚は民意を代表せず、かつまた、選挙により交替もしない。
官僚に必要な資質、能力、志操についても、明確な基準はなく、審査方法も不完全だ。政治、行政に関する知識や経験値は、実際に携わり、好結果を出したのでなければ評価し難い。また、行政官としての経験値や能力が、政治家の能力と同じではない。
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058 2025/02/20(木) 12:23:00 ID:mEx7qHHjnY
官僚以上に政治家に必要不可欠な能力、資質、志操は不明である。仮にそれを備えた者の中だけから選別するとしても、選挙でどんな差異をもって判断するのか?主張、ビジョン、公約、方針だとして、選挙民はそれをいかに正しく判断できるのか?選挙民が、神の如き未来予見能力でもなければ無理だから、多数決に頼るが、多数決の正当性はどこにあるのか?
機能喪失した政治がディープステートとか言い始めたら末期だ。平安時代の百鬼夜行、陰謀、呪いの世界並みだ。一見平和な時代には、魑魅魍魎が跋扈する。
実力行使が封じられた貴族社会では、陰謀や讒言、呪詛といった「目に見えない力」による権力闘争が蔓延した。現代も似た状況にあり、戦争がタブー化し、国家の実力行使が極端に制限されると、代わりに情報戦や経済戦、心理戦のような形で権力闘争が行われる。そして、誰が実権を握っているのか分からなくなると、「ディープステート」だの「陰謀論」だのが跋扈し始める。権力闘争の見えない化が進むのだ。
政治を再定義し直し、人間の能力範囲に収めるしかない。
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